もし私が今回の都知事選に出られる余力があったなら…

もし私が今回の都知事選に出られる余力があったなら…

 

 

選挙ポスターはクリエイターの方々に発注し、色々なデザインのお披露目の場とする、文化と選挙の融合を実現したかった。そうして全世界に東京の文化のポテンシャルを証明してみたかった。

 

何も顔と声だけを売ればいいとは思わない。
代弁者なのだから、クリエイターの思いをそうした形で代弁してもいいでしょう?
知り合いになれた方々の自由な発想のポスターが見たかったなあ。

政見放送では一方は真面目に。もう一方は好き勝手にそして大人達を怒りたかった。

 

なぜ氷河期世代を苦しめ少子化を放置したのか。
文句を言うばかりで口だけの大人ばかりだから絶望の社会を子供達に渡す事になっているだろうと。

政党政治家もなぜ地方自治体選挙に国政の政権争いを持ち込むのかと。それで独裁だのナチスだのどこが批判出来るのかと。憲法93条守れと。

 

「国政政党の思惑」という政治思想を、地域住民の判断より優越させようとするのは狂気だろうと。
まともな政治家は一人もいないのかと政見放送で怒ってやりたかった。
そういう大人が一人でもいなきゃ子供達が可哀想なままじゃないか。

 

叶うなら多くの人と協力して選挙期間中はマスコミに抗議デモを起こしたかった。
選挙権は人権。公平公正さを保てない報道は、人権の平等さを踏みにじる下劣な行為であると。
権力や組織を前にすれば、それ以外の個人の人権など簡単に踏みにじるその心根を糾弾したかった。

ここは異常な社会なんだよ。

 

各候補と協力して演説し有権者に良い選挙にしようと呼びかけたかった。
応援演説をとことん貶したあの区議は忘れもしないが、それはともかくとして、我々のためではなく党利のためにひたすら動く政治家など政治家とは言えないだろうと浮き彫りにしたかった。

 

そういうしがらみの中にとらわれている政治家の人々を救うのは市民であるとも訴えたかった。
利益誘導をしろ、投票したから言う事を聞けと、とことん追い詰めそして投票の見返りに動かざるを得ないようにしたのは市民だ。気づくべきなんだ。
自由のための選挙がしたかった。

 

子供達に向けての選挙がしたかった。
ぶっちゃけ大人なんてどうでもいいよ。
何言ったって分からない人多いんだから。

「不正選挙をしてでも都知事選に勝って、安倍政権を倒すんだ!!!!!!」とかさ。

それなら子供達に虐待から守ったり、勉強が出来ない時に助けがくるようにした方が

 

いいよねと当たり前の事を話し合う時間に費やす方がよっぽどましかもしれない。
政権争いに夢中の大人達は一切子供達の事なんて考えてないんだから。
選挙とはそういう話をするものだと思った子供達が大人になった時の未来に時間をかけた方が、よっぽど理性的かもしれない。

 

選挙カーが借りられなかったら、今度こそ外山恒一街宣車をジャックしようか。(それとなく敬称略)

最終日曜日には銀座でライブとか。
そこまでやれたらまあ最高だよね。好き勝手やれたなら。

ただきっとそこまでやっても、マスコミはとにかく黙殺するだろう。国政政党に怒られるんだろうな。

 

そうしたら最終日には前回果たせなかった命をかけた抗議でもしようか。
小池候補の前で腹を切って内蔵を投げつけ、計上されなかった動物達の命だと思えと叱って終えるとか。

そこまでくると中二病というか浸りきってるな。それにもう出来ないだろう。
でも実際前回は自決の練習も準備もしてたんだよ。

 

そんな風にしてみたかったかなと思うところです。最後のツイートは消すかも。二三回言ってるし心配かけるからね。
でも都知事選で氷河期世代救済と子供達の未来を守れと、命を掛けて抗議した候補者がいれば、毎年それが皆の記憶に思い起こされて、少しは良い影響になれたかもしれないとは思うよ。

 

この4年間は長い思い悩みがあり、借金返済に心身を疲弊させながら、選挙にギリギリで臨む事の繰り返しだった。
非常に反省になったよ。
ようやくこの前少し悩みが晴れたくらいだから、今回は準備は難しかった。

今度こそ四年後を見越して動くか。
または心の苦しみから逃げて皆の前から消えるか。

 

気概のある大人達は是非立候補してくれ。
私より遥かに優れた皆さんならよほど良い成果と影響を残せるだろう。
300万と戸籍謄本と印鑑用意すれば立候補出来る。

選管の方々は選挙権という人権の行使に対し非常に真摯だ。サポートしてくれる。

 

異常な政治だ異常な政治家だと言うなら、立候補が殺到するのが当たり前だろう。
政党や有名人相手なら怖気づくのか。日本の主権者が。

心ある大人が立候補するのを願いますよ。

#東京都知事